October  - November Issue 2002                    


   

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■「母帰る」

8/1〜9/30/2002
10/1〜3/31/2003
■「吾輩はコンピューター・ウイルスである」
■「吾輩は星家の壁の穴である」
■「坊っ子ちゃん」
「横綱の星 第一回」
「バレリーナの星 第一回」
「チャルメラの星 第一回」

「母帰る」(一幕劇)by 菊池CAN:

2002年9月20日

登場人物:  黒田賢一郎     二十八歳  弟 新二郎  二十三歳
                   妹 たね  二十一歳  父 孝太郎  六十五歳
                    母 宗子  五十八歳

時:  平成十四年頃
   
場所: 北陸の小都会

情景:つつましやかな家の六畳の間、正面に箪笥があって前にガスス
    トーブがあり、薬缶から湯気が立っている。賢一郎、役所から
    帰って着替えたばかりと見え、卓袱台の横でくつろいで新聞を
    読んでいる。側で父、孝太郎が不器用な手つきで繕い物をして
    いる。午後七時に近く戸外は闇。十一月の終わり。

賢一郎: お父さん、たねはどこへ行ったの?
父:   横町のインターネットカフェにメールを出しに行った。
賢一郎: またか? お父さんに台所まかせて困った奴だ。変な男と
     メールの交換でもしてなきゃいいけど。この間言ってた見
     合いはどないなったの?
父:   たねが、ちいと相手が気に入らんのだろうわい。
     向こうはくれくれ言うてせがんどったんやけど。
賢一郎: データ通信会社のプログラマーで金があるという人やけに、
     ええ話やがなあ。
父:   ほんまにのう。たねが行ってくれたら一安心じゃ。二十年
     前にお母さんが出て行った時には三人の小さい子供を抱えて
     どうしようと思ったもんやがのう。
賢一郎: (冷たく)その話はやめましょう。
父:   まあ、そのうちお前の嫁も探してもろうとんやけど、ええの
     がのうてのう。
賢一郎: 私はまだ二、三年はええでしょう。
父:   でもたねを嫁にやるとすると、ぜひとも貰わないかん。
      (表の格子戸が開き、新二郎が勤め先の中学校から帰って来る)
賢一郎: 遅かったじゃないか。
新二郎: クラスのホームページ作っとったんやけに。
      (くつろぎながら)兄さん!今日、僕は学校で不思議な話を聞
     いたんですがね。保健婦の杉田の叔母さんがお母さんによく似
     た人を見たとメールくれたんです。
父と兄: うーむ。
新二郎: 新町のビジネスホテルが並んどる所を通っとると、前に六十
     ばかりの赤い髪の老婦人がいる。どうも見たようなことがあ
     ると思って近づいて横顔を見ると、お母さんによく似ていた
     と書いてるんです。
父:   杉田さんならお母さんの幼な友達で、一緒に駅前の会話学院で
     長く英会話の稽古もしていた人やけに、見違うこともないやろ
     う。けどもうお前、二十年にもなるんやけにのう。
新二郎: 叔母さんもそうメールに書いとったです。何しろ二十年も会わ
     んのやけに、しっかりしたことは言えんけど、子供の時から知
     った宗子さんやけに、見違えたとも言えんいうてな。
父:   (賢一郎の方を気にしながら)しかしわしはあいつはもう死
     んだと思うとんや、家を出てから二十年になるんやけえ。死
     んだも同然じゃ。
新二郎: お母さんは若い頃からなかなか変った人やったて叔母さんがい
     つか話してたけど……。
父:   変っとったと言うたら何やけど、確かに人と違ってたのう。
     若い時分からアメリカが好きで、結婚してからもずっと憧れ
     とったけに。しかし三十八で突然ニューヨークの大学でMBA
     取るゆうて、小さい子供三人置いて家を出た時はびっくりした
     なあ、もう。それで、反対押し切ってアメリカ行った途端に、
     アメリカ人の十五も年下の恋人がでけたから別れて欲しいちゅう
     手紙が来たんや。
     (賢一郎の方を心配そうに伺う。彼は聞かぬふりをしている)
新二郎: とんでもない話ですね。
父:   そんなあほな事があるまい思うて返事せんだったら、それっきり
     便りが届かんで行方不明のようになってしもた。(ため息をつく)
     風の噂では、学校やめてウォールストリートの証券ブローカーに
     なったのはいいが、すぐ株で大損して借金こしらえ、情夫とメキ
     シコ国境近くに逃げたという噂じゃ……。
新二郎: いつか、リオグランデ辺りで見た人があると聞きましたが。
父:   もう十年以上も前のことじゃ。久保の忠太さんがアメリカ大陸
     横断旅行に行った時、お母さんとよう似た女が、若いラテン系
     の色男何人も侍らして道歩いとったそうじゃ。あれは湾岸戦争
     のあった頃やけに、もう十二、三年になるのう。
賢一郎: (やや不快な表情をして)お父さん、御飯を食べましょう。
父:   ああそうやそうや。つい忘れとった。(台所の方へ立って行く)
新二郎: しかし、なんでお父さんは離婚せんかったんや? 再婚もせんと
     二十年も……。
父:    (お膳を運びながら)むこうの居所もはっきりせんだったし、
     何かいつかは「すんませんでした」言うて帰ってくるような気
     がしたけに。お前らには苦労かけて悪かったのう。
新二郎: 兄さんが覚えとるお母さんはどんな様子でした。
賢一郎: (冷たく)わしは覚えとらん。一生懸命に忘れようとしたけに。
新二郎: お母さんは若い時は、ええ女であったそうですな。
父:    (昔を懐かしむ目をする)そうや、由美かおるによう似たミニス
     カートの似合う姿のええ女やった。お母さんが結婚前にOLして
     た頃にゃ、エリートサラリーマンに随分デートを申し込まれたら
     しい。よくもわしのような田舎者と一緒になってくれたと当時は
     えらい感激したもんじゃ。(目をしばたたく)しかしあれも今年
     はもう五十八じゃ。家にじっとしておれば、子育ても終わって
     夫婦でフルムーン旅行でもしている時分じゃがな。
     (三人、食事を始める。この時戸が開いてたねが帰って来る)
父:   えらい遅かったのう。さあ御飯おたべ。
たね:  ついヤフーのチャットに夢中になったもんやけに。(新二郎
     にすり寄る)新兄ちゃん!冬のボーナスでウインドウズXPのつ
     いたソニーのバイオ買ってくれん? 友達はみんな持っとるで。
新二郎: (憮然とする)新米の中学教師に無理言うな。
たね:  けち。(ため息をつく)ほんまに今時コンピューターもないアナ
     クロはうちぐらいのもんや。はように嫁には行かされそうや
     し……。(賢一郎を見て)賢兄さん、今帰って来るとな、家の向
     う側に年寄の女の人がいて家の玄関の方をじーと見ているんや。
     (男三人、不安な顔になる)
賢一郎: どんな人だ?
たね:  暗くてよう分からなんだけど、髪の赤い人や。
     (兄弟二人沈黙している)
父:   (思い出したように)あの女が家を出たのは、ちょうど今頃の季節
     や。二十年前の勤労感謝の日の翌日やったんや。わしも昔は恨ん
     でいたけども、年が寄ると何とはなしに心が弱うなってきてな。
     (ふいに表の戸がガラッと開く)
女の声: オーラ! コモエスタ?
     (四人、顔を見合わす)
たね:  はい! 
     (立ち上ろうとはしない)
女の声: ハロー!ハロー!イズエニバディヒア? だれかおらんの?
父:   はいはい! 
     (吸いつけられるように玄関へ行く、以下声だけ聞える)
父の声: おお、宗子か!とうとう帰ってきてくれたんか! えろう変っ
     たのう。(涙ぐんだ声を出している)
女の声: (大げさにはしゃいだ声)オーマイダーリン!ロングタイムノー
     シー! チルドレンは大きくなったやろうな。
父の声: 大きゅうなったとも!もう皆立派な大人じゃ。上ってみんか。
女の声: メイアイ? ほんまに上ってもええんかい?
父の声: もちろんや。
     (二十年振りに帰る母、宗子。髪は赤いが根元に白髪が目立ち、
     派手だがくたびれたパンツスーツ姿。憔悴した表情で老いた夫に
     導かれて部屋に入る。濃い化粧は崩れ、中年太りで二十年前の
     スタイルの良さは微塵もない。新二郎とたねは目をしばたたき
     ながら母の姿をしみじみと見つめている。賢一郎だけ憮然と壁を
     見つめている)
新二郎: お母さんですか、僕が新二郎です。
母:   シンジロー? オーマイグッドネス!(抱いて両頬にキスをす
     る)立派な男になって……。アイキャーントビリーブイット!
たね:  お母さん、私がたねです。
母:   ユー? タネ……? オーマイガー!(抱きしめる)ええ器量や
     なあ!別れた時はまだほんのベイビーやったのに……!
父:   まあ、何から話してええか。子供もこんなに大きゅうなってな、
     何より結構やと思うとんや。
母:   (頷く)親はなくとも子は育つというけど、ザッツトルゥー、
     イズントイット? ほほほほほ……。
     (しかし誰もその笑いに合せようとするものはない。賢一郎は下
     を向いて黙している)
父:   賢も新もようでけた子でな。賢はな、二十歳の年に公務員試験が
     受かるし、新は県立の大学へ行っとった時も三番以下になったこ
     とがないんや。今年から中学の先生をしとる。今では二人で五十
     万円も取ってくれるし、たねはたねで、こんな器量よしやけに、
     ええ所から嫁の口がかかるしな。
母:   アンビリバボー!(ため息をつく)うちも一時はアメリカで羽振り
     が良かったんやけど、年取ってからは金も尽きたし男には逃げら
     れるし……あんたやチルドレンのいる日本が急に恋しゅうなって
     アメリカから帰って来たんやわ。エニウェイ、老先の長いことも
     ない者やけに、皆よう頼むわ。オーライ?
     (ブラウスの胸元からマルボロを一本取り出し、百円ライターで
     火をつける。はげかけた真っ赤なマニキュアの指が目立つ。たね
     があわてて台所から灰皿を運んでくる)
賢一郎: (昂然と壁をみたまま)俺たちに母親があるわけはない。そんな
     ものがあるもんか!
母:   ファット?(煙草の煙を吐きながら賢一郎を振り返る)ファット
     ディドユーセイ? 何をいうんや、ケンは。
     (激しい目にて賢一郎を睨む。新二郎もたねも下を向いて黙って
      いる)
賢一郎: (冷やかに)俺たちに母親があれば、八歳の年にお父さんに手を
     引かれて築港に身投げをせいでもすんどる。あの時、うっかり者
     のお父さんが誤って水の浅い所に飛び込んだればこそ、助かって
     いるんや。俺たちに母親があれば、八つの年からエプロンしめて
     料理や洗濯をせんでもすんどる。俺たちは母親がないために子供
     の時になんの楽しみもなしに暮してきたんや。(新二郎を見る)
     新二郎、お前は小学校の時にズボンの膝が破れても繕ってもらえ
     ずに友達にからかわれて泣いたのを忘れたのか? クラスで一人
     だけ母親参観に誰も来なくて泣いていたのを忘れたのか? 母の
     日にカーネーションを渡す相手がなくて辛い思いで泣いたのを忘
     れたのか?(激高して立ち上がる)
     ポケモンカードもスーパーマリオも満足に買えずにあれほど悔し
     い思いをしたのを忘れたのか?!
     (たねは号泣している。父と新二郎も涙ぐんでいる。母も怒りから
      悲しみに移りかけている)
新二郎: (涙をふきながら)しかし、兄さん、お父さんが、第一、あ
     あ折れ合っているんやけに、たいていのことは我慢してくれ
     たらどうです?
賢一郎: 俺に母親があるとしたら、それは俺のかたきや!俺たちが小
     さい時に辛いことがあって、お父さんに不平をいうと、お父
     さんは口癖のように「皆お母さんのせいじゃ、恨むのならお
     母さんを恨め」と言うていた。俺は八つの時からたねのオムツ
     を替え、おまえの子守をしながら夕飯を作った。お父さんが十
     五年前にリストラで職を失い、うちには金が一銭もなくて親子
     四人で夜食を抜いたのを忘れたのか? 
     (ずっと激高している)俺が一生懸命に勉強したのは皆その
     かたきを取りたかったからや! 母親に捨てられても一人前の
     人間にはなれるということを知らしてやりたかったからや! 
     俺の母親は自分勝手にアメリカに行って情夫を作って出奔し
     たのや!
新二郎: しかし兄さん、お母さんはあの通りお年を召しておられるん
     やけに……。
賢一郎: 新二郎! お前はよくお母さんなどと空々しいことがいえるな。
     見も知らぬおばはんがひょっくり入ってきて、俺たちの親じゃ
     と言うたからとて、すぐに母に対する感情を持つことができる
     んか?
母:   ケンイチロー、ユーは生みの親に対してよくそんな口が利ける
     のう……。
賢一郎: あなたが生んだという賢一郎は二十年も前に築港で死んでいる。
     俺は誰にだって世話になっておらん!
     (全員無言、父とたねのすすりなきの声がきこえるばかり)
母:   (煙草の火をもみ消す)……オーケイ、アイアンダースタン
     ド……ウォールストリートで二、三千万のドルは扱うてきた
     うちや。年取って落ちぶれたかというて食うくらいなことは
     できるわ……。アイムリービング、アディオス、グッドバ
     イ……。(腰を上げる)
新二郎: お母さん!まあ、お待ちください!
賢一郎: 新二郎! お前はその人に何ぞ世話になったことがあるのか?
     お前の学校の月謝は、父さんがリストラされた後、兄さんが新
     聞配達の乏しい月給から払ってやったのを忘れたのか?その人
     を世話したければするがええ。そのかわり兄さんはお前と口は
     利かないぞ!
新二郎: しかし……。
一郎  不服があれば、その人と一緒に出て行くがええ。
     (たねは泣きつづけている。新二郎黙る)
賢一郎: 俺は母親がないために苦しんだだけに、弟や妹にその苦しみを
     させまいと思うて夜も寝ないで昼寝して働いた。だから弟は大
     学、妹も短大は卒業させてある。
母:   (首を横に振る)オーケイ、オーケイ、ドントセイエニモ
     ア……。うちかて無理にチルドレンの厄介にならんでもええ。
     自分で養うて行くぐらいの才覚はあるんや。さあもう行くわ。
     (父を見る)あんた! 丈夫で暮してな。あんたはうちに捨て
     られてかえって幸せやったな。(玄関にゆっくりと歩き出す)
新二郎: (去らんとする母を追いて)お、お金はあるのですか? 
     ばんばん、いや、晩の御飯もまだ食べとらんのじゃありません
     か!
母:   (哀願するがごとく瞳を光らせながら)ドントウォーリイ……
     アイムオーライ……
     (玄関に降りようとしてつまずいて、縁台の上に腰をつく)
たね:  あっ、あぶない!
新二郎: (母を抱き起しながら)こ、これから行く所があるのですか?
母:   (悄沈として腰をかけたまま)ドントウォーリイ……
     (独言のごとく)年取って弱ってくると故郷の方へ自然と足が向
     いてな。日本に帰ってから今日で一週間、三日前から夜になる
     と毎晩この家の前で立ってたんやけど、敷居が高うて入れんか
     ったんや……。(涙が一筋キラッとこぼれる)バット、分かっ
     た……アイシュドゥントビーヒア……イッツオーケイ……。
     心配せんでもいざとなったら自分一人の身の始末くらいでき
     るわ……。
     (立ち上り、戸をあけて走り去る。残る四人しばらく無言)
父:   賢一郎!
たね:  兄さん!
     (しばらくのあいだ緊張した時が過ぎる)
賢一郎: 新! 行ってお母さんを呼び返してこい!
     (新二郎、飛ぶがごとく戸外へ出る。三人緊張のうちに待ってい
      る。新二郎、やや蒼白な顔をして帰って来る)
新二郎: 南の道を探したが見えん、北の方を探すから兄さんも来て下さい!
賢一郎: なに見えん? 見えんことがあるものか!
     (兄弟二人狂気のごとく出で去る)
 
 

(数分間静かな時が過ぎる)

たね:  お父さん、何か聞こえん?(玄関の方を見て耳をすます)
父:   そう言えば……(耳をすます)誰かの笑っているような声が……。
     (その時、ガラッと戸が開く音がして母親が豪快に笑いながらサン
     バの振りで茶の間に躍り込んで来る)
母:   ビバ・メヒコ! ウ〜〜サンバ! 
     (父とたね、ずっこける)

――幕――
 

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原案: 菊池寛『父帰る』 大正9年(1920) 
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/
 




「吾輩はコンピューター・ウイルスである」
 by  夏目ノートン:

2002年9月4日
吾輩はコンピューター・ウイルスである。名前はまだ無い。どこで生れたのか、とんと見当がつかぬ。薄暗いじめじめしたサーバーで010101100と泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれはシステム・アドミニストレーターという人間中で一番獰猛な種族であったそうだ。このアドミニストレーターというのは、感染ファイルを送信する我々の仲間の首根っこを捕えてノートンやウイルスバスターなどのソフトで殺戮するという話である。しかしその当時は何という考えもなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼がウイルス・チェックのためにアンチ・バイルス・ソフトをインストールした後、マウスをクリックされてスーと削除されかけた時、何だかフラフラッとした感じがあっただけである。マウスの上で少し落ちついてアドミニストレーターの顔を見たのがいわゆる人間というものの見始めであろう。この時、妙なものだと思った感じが今でも残っている。まず、二次関数をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるでワーム型だ。今までウイルス仲間にもだいぶ会ったがこんな片輪には一度も出くわした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその下の臭い匂いのする穴から時々ぷうぷうと白い筒を吹く。それがこのアドミニストレーターの好む「禁煙パイポ」というものである事はようやく今になって知った。そうこうしている内に、に、に、に、に、にに、ににに、

あああああああぁぁぁぁ。。。................................................

TRASH!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

(終)


「吾輩は星家の壁の穴である」by  夏目ノートン:

2002年8月29日

吾輩は東京都墨田区荒川に住む土木業、星一徹家の壁の穴である。名前は無い。何でも一徹の息子の飛雄馬がイジメられっ子で、一徹が心配して、飛雄馬が家にいながら一人でキャッチボールができるように吾輩を作ったと聞いておる。飛雄馬が薄暗いじめじめした居間でボールを吾輩に向かって投げ、スルリと外に抜けて、表の一本杉に当たり、跳ね返ってまた吾輩を通って飛雄馬の手に戻るという訳である。飛雄馬は3つの頃から12になる今日まで、よくもまあ飽きもせずに、学校から帰ると毎日座ったまま、一人でキャッチボールを続けておる。少しは友達と外で遊んだ方が体に良いと吾輩は思うのだが、この一徹という親父は頑固な偏屈者で、飛雄馬にこれ以外の遊びをする事を許さんのだ。いくら腕は強くなっても座りっぱなしで動かんものだから、飛雄馬はブクブク太った超肥満児となり、可愛い燃える瞳も親譲りの太い眉も、肉に埋もれて三等身のクレヨンしんちゃんと言った趣である。あんまりコロコロしておるものだから、一徹もついにまずいと思い始め、今度は「肥満児克服ギブス」という手製ギブスをに日曜大工で作り、嫌がる飛雄馬に無理矢理着せつけた。これはエキスパンダーのようなワイヤーが縦横無尽に絡まり合った物で、重さ8キロ、一度身につけると二度と取れぬという恐ろしい物じゃ。このワイヤーのせいで飛雄馬が箸で茶碗の御飯をつまもうとしても、バネの力で引きずられ、間違って卓袱台の足をつまんでしまうと言った始末じゃ。一徹というのは何とまあ獰猛な父親で、世が世なら児童虐待で逮捕されそうな所だが、子供とは有り難いもんで、「とうちゃん、とうちゃん」と飛雄馬は一途に慕っておる。飛雄馬には二つ年上の明子姉ちゃんというのがおって、「飛雄馬、お父さんは気が狂ってるのよ」と時々本当の事を飛雄馬に教えるのじゃが、パープリンの飛雄馬は少しも気にせずに、「とうちゃん、とうちゃん」と一徹を慕い続けるのであった。吾輩が居間に住む友人の卓袱台くんにこの事を話すと、卓袱台くんは、毎晩一徹が癇癪を起こしては卓袱台くんの顔を蹴飛ばす事だけ止めてくれたらなあ、とため息をついておった。いやはや人間というのはつくづく困ったもんじゃ。フーッ(ため息)

 


「坊っ子ちゃん」 by  夏目ノートン:

 

2002年8月22日

親譲りの不器用者で子供の頃から損ばかりしている。幼い頃に母が死んでからは、親父と兄と三人で暮していた。親父は阪神タイガースの応援をする以外何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様のような女は駄目だ駄目だと口癖のように言っていた。何が駄目なんだか今だに分らない。小学生の頃、総理大臣になりたいと言ったら、親父は笑って「掃除大臣」にだったら今日からでもなれるぞと言い、「掃除大臣に任命する」と紙に書いて俺の部屋の壁に貼り、家中の掃除をやれと箒を直球で投げつけた。親父は俺が食事中に床におかずを落としても、「三秒以内だったら拾って食べても問題はない」と真面目な顔で言うような奴だった。ばい菌が一斉に走り寄って来ておかずにリーチするのに約四秒かかると言うのだ。ぼんやりとした兄貴がそれを真に受けて、道に落としたアイスを嘗めて救急車で病院に運ばれた。親父は兄ばかり贔屓にしていた。兄は商社マンになるとか言ってしきりにアラビア語を勉強していたが、アラビアがどこにあるのか聞いても知らなかった。この兄はやけに色が白くって睫毛が長く、親父が留守の時、美川憲一の真似をして化粧するのが好きだった。化粧の後、どおせあ・た・し・は蠍座のおんな〜♪、と部屋の鏡の前でクネクネ腰を振って唄って踊るのだ。兄は跡取り息子で甘やかされ女のような性分でずるいから仲がよくなく、十日に十遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある夜、一緒にテレビゲームをしてたら卑怯な手を使い、俺が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に持ったリモコンを兄の眉間へ思い切り叩きつけてやったら、眉間がカパッと割れてドクドク血が出た。兄はワンワン泣きながら居間で御飯を食べてる親父に言い付け、親父は、うつけ者めが、お前のような乱暴な女は先行き碌な者にはならねぇと卓袱台を蹴飛ばして怒鳴った。子供の頃、うちにキーヨという名の鶴のように痩せた八十近いじいやがいた。このお手伝いの爺さんはいつもモーニング姿で異常に姿勢が良く、反対側に倒れそうなほど反りくり返ったままで歩いていた。元は○○殿下のご学友で学○院出身のよんどころのないお身の上という話だが、今は事情があっておちぶれているらしい。春日八郎の大ファンだというこの爺さん、どういう因縁か、親父も持て余している俺を無暗に溺愛してくれた。キーヨは始終「あなたは直角でよいご気性だ」とほめてくれた。「直角」というのがどういう意味か分からなかったが、俺が赤くなってあまりほめるな恥ずかしいからと言うと、そんな所大好き!とキーヨは言って嬉しそうに俺の頭をピシャピシャ平手で叩くのだった。キーヨは時々俺に自分の小遣いで赤いきつねや緑のたぬきを買ってくれた。日清のカップ焼きそばUFOやペヤングソースやきそばも買ってくれたし、駄菓子屋でベビースターも買ってくれた。寒い夜などはひそかに出前一丁ワンタンを仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ作って持って来てくれた。時には明星中華三昧しょうゆ味さえ買ってくれた。麺類ばかりではない。ポケモンの消しゴムも貰ったし、ハローキティのペンシルケースとおやすみ用ぬいぐるみも買って貰った。百円玉で三千円ばかりくれた事さえある。何もくれと言った訳ではない。お小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと言って部屋の隅から手裏剣のようにバシバシ投げてくるのだった。キーヨが物をくれる時は必ず親父も兄もいない時で、なぜ兄には何もやらないのかとキーヨに聞くと、キーヨはクックックと笑って、お兄様はお父様が買ってお上げなさるからと言う。これは不公平である。親父は頑固者だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかしキーヨの眼から見るとそう見えるのだろう。ハート型の目をした愛に溺れた爺さんだから仕方がない。単にこればかりではない。キーヨはおれを立身出世して日本をしょって立つ女になると思い込んでいた。その癖、兄は色ばかり白くって将来オカマバーのマダムになるだけだと一人で決めてしまった。こんな爺さんにあってはかなわない。キーヨは俺が将来御殿のような所に住むに違いないと言い、うちでも買ったらどうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。この爺さんはなかなか想像力が豊かで、住むのはどこがお好き? パリですか?ニューヨークですか? 白いグランドピアノと暖炉は当然必要です、お庭には真っ赤な薔薇と白いパンジー、子犬の横にはあなた、50mのプールもおこしらえ遊ばせ、テニスコートは一つで結構ですな、などと勝手な計画を練っては独りでブツブツ言っていた。母が死んでから十年の間はこの状態で暮していた。親父には怒鳴られる。兄とは喧嘩をする。キーヨにはほめられる。キーヨが何かにつけて、あなたはお気の毒だお可哀相だと無暗に言うものだから、だんだん自分が可哀相に思えてきた。キーヨは俺が中学校を卒業する頃、散歩中に反りくり返ったまま脳卒中で亡くなった。遺言で生涯身につけていたという懐中時計と春日八郎の『お富さん』のレコードを貰った。 
 

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原案: 夏目漱石『坊ちゃん』
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/
 

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「横綱の星 第一回」

2002年11月20日


 星小徹は戦前、梅乃星(うめのほし)の四股名で活躍していた技自慢の幕内力士であった。しかし戦争で肩を痛め、相撲界に復帰した時には、立ち会いで「S」の字に変化する技しかできない体になっていた。小徹はその技を「魔送だまし」と名付け、昭和22年初場所千秋楽、横綱川上山との対戦でも金星を取った。川上山は小徹の同期で古い友人でもあり、「魔送だまし」を恥ずべき邪道だとし、相撲界からの引退を強く勧めた。翌日、八勝七敗の星を残しながら小徹は部屋から行方をくらまし、やがて相撲界から忘れ去られた。

 昭和36年秋、都内のホテルで行われた大砲関の横綱昇進祝賀会に飛び込んで来た一人の貧しい身なりの少年がいた。今は親方となっていた川上山の目の前で、少年は大砲関に「魔送だまし」の技で掴みかかり、大砲関が少しも動じないと、「ちくしょう!」と一声叫んで足早に逃げ去った。

 川上山が思わず少年の後を追って行くと、辿り着いたのは墨田区荒川のオンボロ長屋。川上山が破れ窓からそっと中を伺うと、部屋に何と星小徹がいる。その少年は、今は日雇い人夫として働く小徹が丹精こめて力士に育て上げようとしている一人息子、飛雄丸であった。

川上山が窓から見ていると、飲んだくれて昼寝をしていた小徹は、飛雄丸が帰るなり怒鳴りつけた。

「飛雄丸!今日の稽古はどうした!」
「父ちゃん! 俺は相撲取りなんかになりたくないや!」
「ばかもん!」

小徹はちゃぶ台をひっくり返して立ち上がり、飛雄丸を殴った。

お前は小学校をあがったら、すぐに入門するんだ!」
「父ちゃん! 無理だ! 俺は学年で一番のチビだぜ!」
「それがどうした! 男は弱音をはくな! 中学卒業までに関取になるんだ!」
「父ちゃん! 俺はクラスで一番痩せてるぜ!」
「努力すれば克服できない事はない!
「父ちゃん! 俺は相撲が嫌いなんだよ
!」

小徹は飛雄丸を殴りとばし、ちゃぶ台を逆にひっくり返して座った。

「石にかじり付いて努力するんだ!」

飛雄丸は部屋の壁に叩きつけられ動かなくなった。買い物から帰って来た姉の星金子(きんこ)が駆け寄り、あわてて飛雄丸を助け起こした。

「お父さん、もうやめて! 飛雄丸が可哀想よ!」
「女は黙っておれ!」

 小徹はまた逆にちゃぶ台をひっくり返して立ち上がり、一升瓶を抱えて外に飛び出して行った。金子(きんこ)のすすり泣きが聞こえてきた。

 川上山はこの悲惨な様子を見て胸を痛めた。小徹はいったい何を考えているのか。川上山の目から見ても、飛雄丸の豆粒のような体型は相撲取り向きではなかった。その時だった。飛雄丸が素裸の体に手ぬぐいで作った回しと「大相撲養成ギプス」を付けて裏庭に飛び出して来た。飛雄丸は柔軟な足腰で股割りをした後、荒縄を巻き付けた一本杉とてっぽう稽古を始めた。100回、200回、300回、飛雄丸の思いもかけず筋肉の発達した体躯が汗まみれになり、やがて杉の幹に両腕をかけて、一声「ウォーッ」と唸ると大木を根こそぎ吊りだした。

 超絶技巧だ・・・川上山は思わず身震いをした。10歳でこの力だ。大人になったらどんなに凄い力自慢になる事か。その時、小徹が酔っぱらって帰って来た。小徹は倒れている杉の木に目をやると、立ちすくんでいる飛雄丸の肩を抱き、夕焼け空に光る星を指さした。

「飛雄丸、見ろ! あの一際輝く星を。あれが横綱の星だ!」
「横綱の星・・・」
「わしには上がれなかった星だ。しかしお前だったら行ける! いや、行くのだ!」
「父ちゃん!」

二人は感涙して抱き合った。川上山は感動で打ち震える胸を押さえながら、そっとその場を立ち去った。
                    

 

 


「バレリーナの星 第一回」

2002年
11月20日

  星小徹は戦前、「ニンジンスキー星」のステージネームで活躍していた技自慢のバレエダンサーであった。しかし戦争で肩を痛め、バレエ界に復帰した時には、Sの字に変化する回転技しか出来ない体になっていた。ニンジンスキー星はその技を「魔送フェッテ」と名付け、昭和22年の春、日本バレエ協会主催バレエコンクールに出場し、金賞を取った。バリカニコフ川上はニンジンスキー星のバレエ仲間で古い友人でもあり、「魔送フェッテ」を恥ずべき邪道だとし、バレエ界からの引退を強く勧めた。翌日、ニンジンスキー星は舞台から姿を消し、やがてバレエ界から忘れ去られた。

 昭和36年秋、都内のホテルで行われた森ノ下洋子の松山バレエ団プリマ昇進祝賀会に飛び込んで来た一人の貧しい身なりの少年がいた。偶然居合わせたバリカニコフ川上の目の前で、少年は森ノ下洋子に「魔送フェッテ」の技で挑み、森ノ下洋子が少しも動じないと、「ちくしょう!」と一声叫んで足早に逃げ去った。

 バリカニコフ川上が思わず少年の後を追って行くと、辿り着いたのは墨田区荒川のオンボロ長屋。バリカニコフ川上が破れ窓からそっと中を伺うと、部屋に何とニンジンスキー星がいる。その少年は、今は日雇い人夫として働くニンジンスキー星が丹精こめてバレエダンサーに育て上げようとしている一人息子、飛雄丸であった。

バリカニコフ川上が窓から見ていると、飲んだくれて昼寝をしていたニンジンスキー星は、飛雄丸が帰るなり怒鳴りつけた。

「飛雄丸!今日の稽古はどうした!」
「父ちゃん! 俺はバレエダンサーなんかになりたくないや!」
「ばかもん!」

ニンジンスキー星はちゃぶ台をひっくり返して立ち上がり、飛雄丸を殴った。

「お前は小学校をあがったら、すぐに松竹梅バレエ団に入門するんだ!」
「父ちゃん! 無理だ! 俺はクラスで一番のチビだぜ!」
「それがどうした! 男は弱音をはくな! 中学卒業までにプリマになるんだ!」
「父ちゃん! おまけに俺はクラスで一番のデブだぜ!」
「努力すれば克服できない事はない!」
「父ちゃん! 俺は
バレエが嫌いなんだよ!」

ニンジンスキー星は飛雄丸を殴りとばし、ちゃぶ台を逆にひっくり返して座った。

「石にかじり付いて努力するんだ!」

飛雄丸は部屋の壁に叩きつけられ動かなくなった。買い物から帰って来た姉の星金子(きんこ)が駆け寄り、あわてて飛雄丸を助け起こした。

「お父さん、もうやめて! 飛雄丸が可哀想よ!」
「女は黙っておれ!」

 ニンジンスキー星はまた逆にちゃぶ台をひっくり返して立ち上がり、一升瓶を抱えて外に飛び出して行った。金子(きんこ)のすすり泣きが聞こえてきた。

 バリカニコフ川上はこの悲惨な様子を見て胸を痛めた。ニンジンスキー星はいったい何を考えているのか。バリカニコフ川上の目から見ても、飛雄丸の団子のような体型はバレエ向きではなかった。その時だった。飛雄丸が素裸の体に手ぬぐいで作ったレオタードと「プリマ養成ギプス」を付けて裏庭に飛び出して来た。

 飛雄丸は柔軟な足腰でプリエをした後、荒縄を巻き付けた一本杉とバーエクソサイズを始めた。一時間、二時間、飛雄丸の思いもかけず筋肉の発達した体躯が汗まみれになり、やがて一声「ウォーッ」と唸ると2mの高さにジャンプしてから32回フェッテを始めた。目の覚めるように正確で遠心機より早かった。

 超絶技巧だ・・・バリカニコフ川上は思わず身震いをした。10歳でこの技術だ。大人になったらどんなに凄いバレエダンサーになる事か。その時、ニンジンスキー星が酔っぱらって帰って来た。ニンジンスキー星は立ちすくんでいる飛雄丸の肩を抱き、夕焼け空に光る星を指さした。

「飛雄丸、見ろ! あの一際輝く星を。あれがバレリーナの星だ!」
「バレリーナの星・・・」
「わしには上がれなかった星だ。しかしお前だったら行ける! いや、行くのだ!」
「父ちゃん!」

 二人は感涙して抱き合った。バリカニコフ川上は感動で打ち震える胸を押さえながら、そっとその場を立ち去った。
                     

 

 


 



「チャルメラの星 第一回」

2002年
11月20日

 星小徹は戦前、星乃屋(ほしのや)の店名で活躍していた味自慢の屋台のチャルメラ屋であった。しかし戦争で肩を痛め、チャルメラ界に復帰した時には、味付けで「S」の字に変化する調理法しかできない体になっていた。小徹はその技を「魔送味付け」と名付け、昭和22年春、全日本チャルメラ選手権でも金賞を取った。しかし、麺所「川上屋」を経営する調理師、川上は小徹の古い友人でもあり、「魔送味付け」を恥ずべき邪道だとし、チャルメラ界からの引退を強く勧めた。翌日、連日満員の賑わいを残しながら小徹は店から行方をくらまし、やがてチャルメラ界から忘れ去られた。

 昭和36年秋、都内のホテルで行われた麺打ち達人、狩須磨也男(かりす・まやお)の新店開店祝試食会に飛び込んで来た一人の貧しい身なりの少年がいた。偶然居合わせた川上の目の前で、少年は狩須磨也男に「魔送味付け」の技で掴みかかり、狩須磨也男が少しも動じないと、「ちくしょう!」と一声叫んで足早に逃げ去った。

 川上が思わず少年の後を追って行くと、辿り着いたのは墨田区荒川のオンボロ長屋。川上が破れ窓からそっと中を伺うと、部屋に何と星小徹がいる。その少年は、今は日雇い人夫として働く小徹が丹精こめてチャルメラ専門調理師に育て上げようとしている一人息子、飛雄丸であった。

川上が窓から見ていると、飲んだくれて昼寝をしていた小徹は、飛雄丸が帰るなり怒鳴りつけた。

「飛雄丸!今日の稽古はどうした!」
「父ちゃん! 俺は屋台のラーメン屋になんかになりたくないや!」
「ばかもん!」

小徹はちゃぶ台をひっくり返して立ち上がり、飛雄丸を殴った。

「お前は中学をあがったら、すぐに川上クッキングスクールに入門するんだ!」
「父ちゃん! 無理だ! 俺はクラスで一番の猫舌で味音痴だぜ!」
「それがどうした! 男は弱音をはくな! 中学卒業までに調理師の資格を取るんだ!」
「父ちゃん! 俺はチャーシューで蕁麻疹を起こす特殊体質だぜ!」
「努力すれば克服できない事はない!
「父ちゃん! なると巻きで目を回す俺がどうやってラーメン屋になれるんだよ!」

小徹は飛雄丸を殴りとばし、ちゃぶ台を逆にひっくり返して座った。

「石にかじり付いて努力するんだ!」

飛雄丸は部屋の壁に叩きつけられ動かなくなった。買い物から帰って来た姉の星金子(きんこ)が駆け寄り、あわてて飛雄丸を助け起こした。

「お父さん、もうやめて! 飛雄丸が可哀想よ!」
「女は黙っておれ!」

小徹はまた逆にちゃぶ台をひっくり返して立ち上がり、一升瓶を抱えて外に飛び出して行った。金子(きんこ)のすすり泣きが聞こえてきた。

 川上はこの悲惨な様子を見て胸を痛めた。小徹はいったい何を考えているのか。川上の目から見ても、飛雄丸の埴輪のような顔は屋台の親父向きではなかった。その時だった。飛雄丸が素裸の体に手ぬぐいで作った白エプロンと「チャルメラ調理師養成ギプス」を付けて裏庭に飛び出して来た。飛雄丸は柔軟な手つきで粉をこねた後、一本杉に叩きつけるように麺を打ち始めた。100回、200回、300回、飛雄丸の思いもかけず筋肉の発達した体躯が汗まみれになり、やがて一声「ウォーッ」と唸ると包丁で一気に麺を切り刻んだ。

 超絶技巧だ・・・川上は思わず身震いをした。10歳でこの技だ。大人にな
ったらどんなに凄い麺打ちになる事か。その時、小徹が酔っぱらって帰って来た。小徹は立ちすくんでいる飛雄丸の肩を抱き、夕焼け空に光る星を指さした。

「飛雄丸、見ろ! あの一際輝く星を。あれがチャルメラの星だ!」
「チャルメラの星・・・」
「わしには上がれなかった星だ。しかしお前だったら行ける! いや、行くのだ!」
「父ちゃん!」

二人は感涙して抱き合った。川上は感動で打ち震える胸を押さえながら、そっとその場を立ち去った

 

 

 

                  


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