卒表後は体操教師を目指して東洋女子体育大の前身、三階堂体操塾に推薦で入学。そこで出会ったのが指導教官であった現在の夫、段平だった。視察旅行先のイギリスから戻ったばかりの段平は、当時、日本に卓球を浸透させるために有望選手をスカウトしていた。矢吹の右腕の異常な強さ、足腰の強靱さはまさに「卓球をするために生まれてきた女」のように見えたという。一方の矢吹の卓球に対する気持ちは「どんな競技か知ろうとしただけ」だったという。
しかし、才能の方は一気に開花。国際卓球連盟(ITTF)に日本が加盟したばかりの昭和3年、20歳で明治神宮体育大会に出場、ベスト8入って記念すべきスタートを切った。翌年、昭和4年(1929年)には大日本卓球協会主催第一回全日本選手権に出場し、ベスト4に。昭和6年(1931年)の日本卓球会設立記念選手権大会では決勝に進み、昭和8年(1933年)には雌オオカミと異名を取る強豪、金串ウルメを破ってシングルス優勝、ついに日本一となった。
この試合は日本卓球史上に名を残す名勝負と言われ、朝9時から夜6時まで9時間余の壮絶な戦いであった。ちなみに、この試合以降、ルールに制限時間が設けられたという。その後、昭和10年(1935年)には天才少女、丸亀女学校の保世メサ子を破って3冠に輝き、38年まで6年連続個人優勝。
その間、25歳で段平と結婚、年子で5人の子をもうけても選手生活は辞めなかった。
「乳飲み子を2人、背中と前におぶい、上の子たちは卓球台の足に一人ずつ紐で括りつけて練習してました」
昭和15年には東亜大会と汎太平洋大会に出場したが、昭和16年に太平洋戦争が勃発。選手権大会も停止となり、段平もマニラへ出征した。戦争中は卓球の球も不足し、防空壕の中で石ころを手のひらで打って練習し続けた。
「打てる物は子供の頭でも何でも代用しました」
子供の手を引いて空襲から逃げ惑っている時でも、足は卓球の半服横跳びの要領で1-2-3、1-2-3と動いていたという。
戦後、日本がITTFへ復帰した昭和24年(1949)に、実業団の御多福綿花(現・オーメン)に42歳で入社。現役復帰を宣言したが、真剣に取り合う者は夫以外いなかった。しかし3年目には45歳で7度目の全日本個人優勝。
その後、60歳の1968年まで18年連続で全日本の出場権を獲得し、同年までに90勝を納めた。それからが大変で、91勝から98勝目までにそれぞれ2年ずつかかり、98勝したのが76歳の1984年。さらに8年かかって、84歳の1992年にようやく99勝目を刻んだ。
苦労を目の当たりに見てきた段平は語る。
「10年前の白内障手術以来、視力も衰え、引退させる事も考えていた。しかし、どうしても100勝して引退したい、試合で燃え尽きたいという千代の意志が強かった」
矢吹自身も、「本当は限界だと思った。技術じゃなくて足が動かなかった」と語る。卓球を続けるかどうか、今までになく真剣に思い悩んだ時期だった。そこで段平が考案したのがボクシングの要素を取り入れた「段平式トレーニング」。その頃、段平が千代に渡したメモにはこんな事が書いてあった。
「あしたのために(その1)-右スマッシュ」
肘を右わきから離さない心構えでやや内側を狙い、えぐりこむようにして打つべし。
正確なスマッシュ3発に続く右ドライブはその威力を3倍に増すものなり。打球後、腰を落として両膝を曲げて構え、移動できる態勢を保つべし。
メモにある「その1」は、体に負担をかけずに効果的に風を切るようなスマッシュを打つコツについて、「その2」は弱った視力に頼らず、心眼で球を見るという事、そして「その3」はボクシングの基本訓練を組みこんだ筋力増強メニューだった。このメニューを徹底する事により、千代の持つ技を向上させ、精神力と筋力を高め、衰えたフットワークをカバーしようというのが段平の目論みであった。「老年はパワーではかなわないが、技では若さを上回るはず」。段平は力強く言いきった。
矢吹は段平と近所のボクシングジムに通い、若い練習生たちと対等に基本トレーニングを消化した。ヘッドギアを被ってスパークリングの相手も勤めた。これが相手の出方を事前に読む「心眼」を鍛えるのに非常に役にたった。ノックアウトされた時は思わず「ケンカ屋チヨ」の血が蘇り、相手にむしゃぶりつく事もあった。千代はさらに剣道や合気道の道場にも通い、禅寺に篭り、冬山で滝にも打たれて精神統一に努めた。
「そのうちサイキックパワーが出てきて、北海道にいる親戚の夕飯の献立さえ分かるようになりました」
訓練を始めて3ヶ月後、矢吹は曾孫の西と自宅で練習試合を持ち、段平から教わったスマッシュを試みてみた。「打つべし!」 「打つべし!」 「打つべし!」段平の声に励まされた矢吹の強烈な右スマッシュは見事に西の腋をすり抜け、勢いよく後方に抜けて行った。「ようやった、千代!」。段平は目頭を熱くしながら呟いた。
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100勝を達成した試合終了間近、汗で濡れた床に倒れる矢吹に、段平はコーチ席から立ち上がって「立て! 立つんだ、チヨーッ!!」と声の限りに叫んだ。それに答えるように矢吹はゆっくりとよみがえり、遂に100勝を物にした。続く2回戦では惜しくも昨年個人優勝の実業団チャンピオン、力石竜子(24)に敗れ、通算勝利数は100でストップ。来年からは同大会マスターズの部に活躍の場を移し、非常勤講師を務める東洋女子体育大での指導の合間を縫って朝晩3時間の練習を続けるつもりだ。試合後のインタビューで、矢吹は74年間を振り返るように静かに呟いた。
「人生、まっ白に燃え尽きないと嘘。100勝しちゃったからには次の目標を探さなくちゃ」
矢吹の挑戦はまだまだ続きそうだ。(敬称略)